スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
[ --/--/-- --:-- ] スポンサー広告 | TB(-) | CM(-)

【日本人なら絶対に知るべき無名の戦神】GHQ支配下の最中「釣りに行く」と、普段着無一文で出かけた根本博とは、「満州の撤退戦で軍民35万人の邦人を護った」戦神と恐れられた百戦錬磨の人物であった。

1: 6564億円◆o8vqQW81IE 2014/12/07(日)21:21:53 ID:???

「金門島の戦い」で、 2万人の共産党軍を撃破。台湾から羽田に着いた時、タラップを降りる根本中将の手には「家を出るときに持っていた釣り竿が一本」出たときのままの状態で握られていました。[H26/12/7]





2: 6564億円◆o8vqQW81IE 2014/12/07(日)21:22:17 ID:FU7

>>1
◎根本博中将とは「金門島の戦い」(大東亜戦争後の毛沢東の中国共産党軍と、蒋介石の国民党軍との戦い)に、並々ならぬ功績を残した人物です。
◆◆◆本人の希望により、公式記録には残されなかった人物で、近年(平成20年)になる
まで、金門島の戦いにおける根本中将の活躍は知られていませんでした。◆◆◆

日本の敗戦後、苦難の末に台湾に渡り、今日の「台湾」の存在を影から支えた大人物です。
根本中将に助力をもとめた明石氏は、根本が日本を出港した4日後に過労死してしまう程
でした。

そんな根本中将は「日本男子・大和民族の誇り」であると、
「6564億円」は皆様にお伝えたいのです。」
「ニュースの速報性は少ないけれど、これを立てるのが『自分の使命』と考えて、
開戦日の前日ですが、スレ立てを致しました。」m(_ _)m
「スレタイが2レスになった事は、予めご了承下さいませ。」

【動画】「台湾を救った陸軍中将根本博の奇跡」
http://youtu.be/bgxKmScdT_s


再生回数 133,062 回
高評価 540、低評価 19
◎消されてしまいそうな動画ですので、有志の皆様は「保存」をお願いしますm(_ _)m


【画像】根本博中将
http://i.imgur.com/mzAsyu8.jpg

【画像】「金門島」
http://i.imgur.com/9aMedVz.jpg

◆◆◆台湾は、支那大陸の福建省から南シナ海で180kmの距離にある島国です。
ところがその台湾について不思議なことがあります。◆◆◆

ひとつは「金門島」です。
「金門島」は支那福建省からわずか『1.8km』のところに、まるで支那大陸にへばりつくよ
うにある島です。そこが台湾の領土なのです。
さらにもうひとつ。なぜ台湾本島は、国共内戦当時、支那共産党に攻められたなかったの
か。これまた不思議なことです。

大東亜戦争後、米英の支援を絶たれた国民党は、支那各地で八路軍に敗れ続け、ついに蒋介
石は支那大陸を追い出されています。八路軍側が圧勝していたのです。
にもかかわらず台湾本島を攻めなかった。不思議なことです。

◆◆◆ここに日本人が関係しています。これは戦後60年間、封印された史実です。◆◆◆


3: 6564億円◆o8vqQW81IE 2014/12/07(日)21:22:56 ID:FU7

>>2
◎支那で中華人民共和国が建国宣言する二ヶ月前、金門島で国民党軍と共産党軍による激烈
な戦いが繰り広げられました。

◆◆◆戦いは、国民党軍の完膚なきまでの完全勝利となりました。◆◆◆
そしてこの戦い以降、支那共産党は国民党への追いつめ作戦(攻撃)を止めたのです。
◆◆◆だから台湾はいまも国民党政権が存続し、台湾は台湾でいます。◆◆◆

さらにいえば金門島の戦いは破竹の勢いだった支那共産党軍に、国民党を攻める意欲さえ
も失わせています。共産党軍は何をおそれたのでしょうか。
実は、「戦神(いくさかみ)」の存在を恐れたのです。
その「戦神(いくさかみ)」がいたからこそ、支那共産党軍は金門島ひとつを陥とすため
に、どれだけの兵力の損耗をするかわからないと恐怖し、攻撃を停めたのです。

◆◆◆この事実が明らかにされたのは平成20(2008)年です。◆◆◆
その「戦神」の名は根本博といいます。陸軍中将です。

根本中将は、明治二十四(1891)年のお生まれです。
二本松藩(福島県岩瀬郡仁井田村・現須賀川市)のご出身です。
仙台陸軍地方幼年学校を出て、陸軍中央幼年学校にあがり、陸軍士官学校を二十三期で卒業
され、陸軍大学三十四期生として陸軍に任官、以後ずっと陸軍畑を歩み続けました。



◎その根本中将がなぜ台湾の国境紛争に関わったのか。
そこには理由があります。

実は、終戦当時、根本中将は駐蒙軍司令官としてモンゴルにいたのです。
八月九日以降、ソ連軍があちこちで略奪や暴行強姦、殺戮を繰り広げている情報は、
もちろん根本中将のもとにもたらされています。

八月十五日、中将のもとにも武装解除せよとの命令が届けられました。
しかし、こちらが武装を解除したからといって、日本人居留民が無事に保護されるという
確証は何もありません。

考え抜いたあげく、根本中将は、「民間人を守るのが軍人の仕事である。
その民間人保護の確たる見通しがない状態で武装解除には応じられない」とし、
「理由の如何を問わず、陣地に侵入するソ軍は断乎之を撃滅すべし。これに対する責任は
一切司令官が負う」と、命令を発したのです


八月十九日、ソ連軍と支那八路軍の混成軍が、蒙古の地へなだれ込んできました。
ソ連製T型戦車を先頭に押し出し、周囲を歩兵で固め、空爆を駆使し、数万の軍勢で一気に日本軍を踏みつぶそうとしてきたのです。

激しい戦いは三日三晩続きました。
その結果ソ連軍は、敗退し、蒙古侵攻から撤収したのです。
根本中将率いる駐蒙軍が戦いに勝利した瞬間でした。

さらにこの戦いに先だち、根本中将は日本人居留民四万人のために列車を手配し、日本人
民間人を全員、天津にまで逃しています。

しかも各駅には、あらかじめ軍の倉庫から軍用食や衣類をトラックで運び、避難民たちが
衣食に困ることがないように入念な手配までしていました。


4: 6564億円◆o8vqQW81IE 2014/12/07(日)21:23:23 ID:FU7

>>3
◎当時、張家口から脱出した当時二十五歳だった早坂さよ子さんの体験談がのこっていま
す。
======
張家口はソ連邦が近いのでソ連兵が迫ってくるという話にも戦々恐々と致しました。
五歳の女子と生後十ヶ月の乳飲み子を連れてとにかく、なんとか日本に帰らねばと思い
ました。
駅に着きますと貨物用の無蓋車が何両も連なって待っており、集まった居留民は皆それ
に乗り込みました。
張家口から天津迄、普通でしたら列車で七時間位の距離だったと思いますが、それから
三日間かかってやっと天津へ着くことが出来ました。
列車は「萬里の長城」にそって走るので、長城の上の要所々々に日本の兵隊さんがまだ
警備に着いていて、皆で手を振りました。そして兵隊さん達よ、無事に日本に帰って
きてと祈りました。

======
他の戦域とくらべ、なんとものどかな逃避行の手記です。
それだけ根本軍団の手当が行き届いていたということです。

八月二十一日、ソ連軍を蹴散らした中蒙軍は、夜陰にまぎれ、戦地から撤収しました。
列車は全部、民間人避難のために使っていから、徒歩による退却です。
途中の食料は、最早所有者のいなくなった畑のトウモロコシを生で齧りました。

たとえどんなに苦労してでも、たとえ装備が不十分であったとしても、助けるべき者を
助ける。そのために命をかけて戦い、自分たちは最後に帰投する。強いものほど先頭に
立って苦労をする、苦労を厭わない、帝国陸軍軍人の姿です。

モンゴルでの戦闘に勝利した根本中将は、軍装を解かずにそのまま北京に駐屯しました。
そこで根本中将は、北支那方面軍司令官兼駐蒙軍司令官に就任しています。
北支那にいる全日本人(軍民合わせて三十五万人)の命を預かる身となったのです。


5: 6564億円◆o8vqQW81IE 2014/12/07(日)21:23:52 ID:FU7

>>4
◎この頃支那では、蒋介石率いる国民党軍が、幅を利かせるようになっていましたが、
根本中将率いる北支軍は、断固として武装を解かない。

そして日本軍と国民党軍の小競り合いや、ソ連の支援を得た八路軍との戦いは、各地で無数
にあるのだけれど、根本中将に率いられた日本の北支軍は、どの戦いでも支那兵を完膚なき
までに叩きのめしています。

すでに装備も不十分、弾薬も底をつき出しているはずなのです。
それでも日本軍を破れない。
次第に根本中将の存在は、国民党軍や八路軍の中で、「戦神」と呼ばれて恐れられるように
なったのです。

(相当行を略)

わずか二昼夜の戦いで、共産軍の主力が殲滅したというウワサは、あっという間に広がり
ます。
これまで敗退続きだった国民党軍がいきなり金門島で大勝利したのは、「戦神」と呼ば
れる日本人の戦闘顧問がついたからだとも・・・。

◆◆◆日本陸軍の強さは、当時、世界の常識です。◆◆◆
その日本の戦神が、国民党軍のバックについた。
それは共産軍からみれば死神以上に恐ろしいことです。
共産軍の進撃は完全に止まりました。
◆◆◆そして金門島は、それから六十余年を経た今日も、台湾領でいます。◆◆◆

十月三十日、湯将軍ら一行は、台北に凱旋する。湯将軍一行を迎えた蒋介石は、このとき
根本中将の手を握って「ありがとう」とくり返したといいます。
けれど根本中将は、「支那撤退の際、蒋介石総統にはたいへんな恩を受けた。自分はその
ご恩をお返ししただけです」と静かに語りました。



6: 6564億円◆o8vqQW81IE 2014/12/07(日)21:24:18 ID:FU7

>>5

◎そして結局根本中将は、この功績に対する報償を一銭も受け取らず、また、日本で周囲
の人達に迷惑がかかってはいけないからと、金門島での戦いに際しての根本中将の存在と
活躍については、公式記録からは全て削除してくれるようにとくれぐれも頼み、台湾を後
にしました。
ただ、行きのときの漁船での船酔いがよほどこたえたのか、はたまた蒋介石のお礼の
気持ちか、帰りは飛行機で帰国されています。
羽田に着いたとき、タラップを降りる根本中将の手には、家を出るときに持っていた
釣り竿が、一本、出たときのままの状態で握られていました。
それはあたかも、「ただちょいとばかり釣りに行ってただけだよ」といわんばかりの姿
でした。

中将は家を出るとき、家族に「釣りに行って来る」と言って出られました。
そのときの釣り竿をずっと持っていたのです。
どんなに激しい戦地にあっても、途中にどんな困難があっても、そして何年経っても、
決して家族のことを忘れない、それは根本中将の、父として、夫としての家族への
やさしさだったのかもしれません。


◎全文は下記リンク先から、閲覧下さいませm(_ _)m

ねずさんのひとりごと 金門島の戦い/根元博中将
http://nezu621.blog7.fc2.com/blog-entry-1713.html

◎Wikipedia 根本博
http://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E6%A0%B9%E6%9C%AC%E5%8D%9A


20: 名無しさん@おーぷん 2014/12/08(月)12:33:30 ID:RIO

>>1>>2
印象的だなぁ俺のちっぽけな脳内メモリに保存した


7: 名無しさん@おーぷん 2014/12/07(日)21:36:42 ID:aQu

あんまり話がでてこないけど満州は大変だったんだよな
この曲置いとく

この空で会えるよう/在這天空相會
ttp://www.nicovideo.jp/watch/sm3133412


※「まんしゅう地蔵」のキャンペーンソング


8: 名無しさん@おーぷん 2014/12/07(日)21:59:35 ID:IzH

満州からの撤退は祖父がやったって言ってたな
昔話として軽く話してくれたけど実際はいかほどだったか
だが帰ってみればどうだ
周りには朝鮮人みたいなのばっかり・・・もっと大切にしてあげればよかった


9: 名無しさん@おーぷん 2014/12/07(日)22:06:35 ID:uYQ

>>8
映画のランボー1作目の冒頭思い出しちまった


12: 名無しさん@おーぷん 2014/12/07(日)22:45:32 ID:P5i

台湾人にも知られてる人なん?


21: 名無しさん@おーぷん 2014/12/08(月)13:15:14 ID:ECW

こういう記者なりの主観が前面に打ち出されていて、
なおかつそれをちゃんと分かるように表記されている記事はいいものだ

客観性を装いつつ、情報の出自も怪しいどこぞの偏向ブログの切り貼りされるより、百万倍も良いよね


22: 名無しさん@おーぷん 2014/12/08(月)19:22:36 ID:fhs

中将なら、この人レベルがごろごろいたってことでつねw


23: 名無しさん@おーぷん 2014/12/08(月)19:44:06 ID:1eK

また一つかしこくなっった!



にほんブログ村 2ちゃんねるブログへ
にほんブログ村
にゅーすではありませんが、
しっかりと覚えておきたいです。
よかったらクリックお願いします。
関連記事
スポンサーサイト
[ 2014/12/09 09:38 ] 日本 | TB(0) | CM(0)

コメントの投稿













管理者にだけ表示を許可する

トラックバック

この記事のトラックバックURL
http://openmatome863.blog.fc2.com/tb.php/2546-b59e4f5d










上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。